田舎から人がいなくなる理由がわからない田舎者たち

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たまにはその、意識高い系っぽい文章を書いてみてもいいよね…?ね?

僕は春から仙台で暮らすことになったわけだけど、それを友達やら親戚やら、あるいは近所のジジババに伝えると、皆口を揃えてこう言う。

「そっか、青森は仕事無ぇもんな」

って。それこそ同年代の若者から、死にかけのジジババまで、面白いくらいに皆同じことを言う。「なして行ぐのさ」とか「盆正月は帰ってこいよ」みたいな、そういうありきたりな言葉ならまだしも、「青森は仕事無ぇもんな」だと。

そしてこの言葉を掛けられるたびに僕は思うんだ。あぁ、もうこれ以上青森にいちゃいけないなって。これ以上ここにいても精神が持たないなって。

だって、僕は仕事を求めて仙台に出ていくわけじゃないんだから。そして、田舎から都会へ出て行く若者の大多数も、おそらく仕事を求めて出て行くわけじゃないと思う。

それを田舎の人たちは、地元に残った人たちは分かってない。

僕らが田舎から出て行く理由はもっと単純。田舎に魅力を感じられないからだ。あるいは魅力をすべてかき消してしまうほどに欠点が多いからだ。田舎に居ては幸せになれない、楽しくない、自分を高められない。もっと簡単に言えば、田舎は住みづらいんだ。

逆に、田舎に残る人ってのはつまり、田舎のほうが住みやすい、楽しい、魅力を感じる、自分を高められる…そう感じたから田舎に残ったんでしょ?だから僕が仙台へ出て行くのを引き止めようとするんでしょ?

仕事なんて青森でも探そうと思えばいくらでも探せる。確かに月収は手取りで10万円台前半が当たり前だけど、実家暮らしならそんなの全然気にならない。田舎は競争が少ないから、物価は若干高いなと思わないでもないけど、不動産関係は安いからプラマイ0だ。

それでも若者達は都会へ出て行ってしまう。田舎には魅力を感じないからだ。

それを田舎の人達は分かっていない。外の世界に目を向けようとしないから、自分たちの住む世界がいかに魅力の乏しい世界であるかに気付けない。自分たちの世界と他の世界を比べないから、自分たちの世界の魅力も見えてこない。

自分たちの世界が持つ魅力を知らないから、ひたすら都会の後追いをする以外の選択肢が見えてこない。だから地方都市は魅力を失い、いかに都会らしいか、いかに東京らしいかを競う以外の価値を失ってしまった。

東京の下位互換になってしまった田舎に魅力なんてない。都会が欲しければ金持ちは東京へ行く。僕のような貧乏人は近くの大都市へ出て行く。田舎は田舎の魅力を打ち出していかなきゃ。都会の後追いをしているだけじゃ誰も見向きもしれくれない。それはそこで生まれ育った地元民であってもだ。

そうして若者達は都会へ出て行く。

上昇志向の強い若者から順番に流出していく。集団就職の時代、バブル期、そして今現在の大学全入時代を経て、それでもなお田舎に残っているのは、自分とその周りの狭い殻に閉じ籠もって生きる、「めんどくさい」が口癖の無気力な人間だけだ。

確かに青森は元々日照時間の少ない土地だから、どうしてもセロトニン不足の無気力人間が多くなってしまうのは仕方がないのかもしれない。ただ、それを含めて考えても、地元に残る人間ってのは面倒臭がりの無気力人間が多い。

僕は別に青森が嫌いなわけじゃない。嫌になるくらいハッキリとした四季とか、この世のものとは思えない自然とか、津軽の文化とか、海産物とか、むしろそういうのは大好きだし、愛着も持っている。

だけど青森の人間は嫌いだ。無気力な人間、面倒臭がりの貧乏人、変化を恐れる年寄り、そういう人達の中で生きることにもどかしさしか感じない。そしてゆくゆくは自分も染まっていってしまうんじゃないかと考えると恐怖でしかない。

自分で言うのもアレだけど、僕はそれなりに上昇志向の強い人間だと思う。今よりも豊かな生活が欲しい、今よりも幸せな人生が欲しい、端的に言えば金が欲しい、モノが欲しい、自由が欲しい。そういう思いが人一倍強い人間だと思う。

だから僕は、今以上の幸せを求めて青森を出て行くんだ。

以上。ここまでが意識高い系っぽい文章。うわー気持ち悪いね。一人称が「僕」だってさ。なーにが「僕は青森の人間が嫌いだ」だよ。選民思想丸出しじゃん。自分のこと特別だとか思ってんのかなこの人。

青森から出ることに後ろめたさ感じてるから、自分の気持ちを正当化するために青森を貶めるなんて最低だねぇ。もっと堂々と「豪雪とマイルドヤンキー的DQNと家族から離れたいから青森を出ます」って書けばいいものを。

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